大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

福岡地方裁判所 昭和56年(行ウ)11号

原告

五十川タクシー有限会社

右代表者代表取締役

本園巧

右訴訟代理人弁護士

山口定男

井手国夫

被告

福岡県地方労働委員会

右代表者会長

三苫夏雄

右指定代理人

品川静也

青柳栄一

秋成勉

高瀬秀平

参加人

全自交福岡地連五十川タクシー労働組合

右代表者執行委員長

中村寛興

右訴訟代理人弁護士

上田国広

宮原貞喜

諫山博

林健一郎

小泉幸雄

小島肇

井手豊継

内田省司

津田聰夫

林田賢一

椛島敏雅

田中久敏

主文

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  原告

1  被告が、参加人を申立人、原告を被申立人とする福岡労委昭和五四年(不)第一〇号不当労働行為救済申立事件につき、昭和五六年四月一三日付でした別紙(略)命令書記載の命令の主文1ないし3項を取り消す。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

二  被告

1  原告の請求を棄却する。

2  訴訟費用は原告の負担とする。

第二当事者の主張

一  請求原因

1  被告は、参加人を申立人、原告を被申立人とする福岡労委昭和五四年(不)第一〇号不当労働行為救済申立事件について、昭和五六年四月一三日付で別紙命令書の主文に記載のとおりの命令(以下「本件救済命令」という。)を発し、右命令書の写しを同年五月一二日、原告に交付した。

2  しかし、本件救済命令は違法であるから、原告は、右命令の主文1ないし3項の取消しを求める。

二  請求原因に対する認否

請求原因1の事実は認める。

三  被告の主張

被告が認定した事実は、別紙命令書の理由「第1 認定した事実」の項記載(以下、同所記載の事実を「被告の認定事実」という。)のとおりであり、また、被告がした法律上の判断は、同「第2 判断及び法律上の根拠」の項記載のとおりである。右事実認定及び法律上の判断は正当であり、本件救済命令は適法である。

四  被告の主張に対する原告の認否及び反論

1  被告が主張する認定事実に対する原告の認否及び反論は、次のとおりである。

(一) 原告会社の時間外労働に関する基本姿勢について

原告会社は、従来から赤字経営のため時間外労働に対する法定賃金の支払能力がないので時間外労働を認めるわけにはいかないとの方針を全運転手従業員に対し明確に打ち出しており、時間外走行の著しい運転手からは理由書、更には始末書を徴するなどして勤務時間厳守を厳重に指示、指導してきた。もっとも、運転手の中には交通渋滞の時間帯を避け定められた勤務時間より早めに出社する者もいたが、タイムレコーダーに打刻後、営業車の手入れをしたり、新聞、雑誌を読んだり運転手同士で雑談をしたりしていたものもおり、出社時刻が早い者がすべて定められた出庫時刻よりも早く出庫して時間外走行をしていたとはいえないし、また、原告会社が時間外走行を許容していたと決めつけることは許されない。

(二)(1) 別紙命令書の理由「第1 認定した事実」の項の3(1)(申立人組合に対する介入行為)の事実中、<1>は否認する。本園巧(当時常務取締役、現在原告代表者。以下「巧常務」という。)は、亀石慶勝が飯塚市に居住し朝の交通渋滞を避けるために早めに出勤しがちだったので、同人に対し、被告主張のころ個別点呼において勤務時間を正しく守るよう指示したにすぎない。

(2) 同3(1)<2>のうち、昭和五三年七月一日及び同月二日の各点呼時に巧常務が五十川タクシー労働組合(以下「五十川労組」という。)との間にユニオン・ショップ協定が締結されたことを説明したことは認めるが、その余の事実は否認する。原告会社は、五十川労組とユニオン・ショップ協定を締結したため、同労組及び参加人組合のいずれにも所属していない従業員について右協定上問題が生ずることになっては困るので、昭和五三年七月一日及び同月二日の両日、一斉点呼の席上で巧常務からユニオン・ショップ協定の意義について説明をした。しかし、その際、「全自交組合員は挙手してほしい。」などと発言したことはなく、また、郷原福勇が挙手したとか、中村寛興が抗議したという事実はない。

(3) 同3(1)<3>前段のうち、山下博朗専務取締役(以下「山下専務」という。)が亀石と労働組合への加入に関して、被告主張のころ話をしたことは認めるが、その余の事実は否認する。昭和五三年八月二〇日ころ、山下専務が原告会社本社二階の事務室に上がろうとしたところへ亀石が「専務。」と言って近寄り、「自分は二つの組合のいずれかに加入しないといけないのでしょうか。」と聞いたので、山下専務は、「どちらに入るのも自由であるが、どちらかに加入したほうがよいのではないか。」と答え、なお、亀石がいずれの組合にも加入しなかった場合、前記ユニオン・ショップ協定上問題が生ずると会社としてもその処理に困ると考え、「もしどちらにも入らないのなら、理由をはっきりさせておきなさい。」と言ったことがあるにすぎない。

(4) 同3(1)<4>のうち、亀石が昭和五三年八月二八日山下専務に対し参加人組合に加入したことを表明したこと、同日巧常務が亀石及び豊田光三に対し午前八時出庫翌日午前二時帰庫の勤務時間を厳守するよう指示したことはいずれも認める。しかし、亀石が山下専務に参加人組合に加入した旨を表明した際、巧常務はその場に同席しておらず、その日はいまだ亀石及び豊田が参加人組合に加入したことを知らなかった。原告会社は従来から全運転手従業員に対し就業規則所定の勤務時間厳守を命じており、この点亀石及び豊田についても入社以来同様であった。当日は、亀石の出勤が早くなりがちであったので同人に対し午前八時出庫のきまりを守るよう指示し、また、勤務時間の定めを破ることの多い豊田に対し時間厳守を指示したのである。

(5) 同3(1)<5>のうち、巧常務が湯浅萬吉に対し、被告主張のころ勤務時間厳守を指示したことは認める。これは、湯浅が福岡市西区別府橋付近に居住し朝の交通渋滞を避けるために早めに出勤しがちだったため、同人に対し、個別点呼において勤務時間厳守を指示したにすぎない。

(6) 同3(1)<6>のうち、巧常務が豊田に対し昭和五三年九月四日勤務時間厳守を含め就業規則の指導をしたことは認めるが、被告主張のように参加人組合から脱退するよう説得したことはない。同日は、豊田が勤務時間中にボートレース場に行っているということを耳にした巧常務が同人を呼んで調査のうえ厳しく戒め、更に、同人には再三の注意にもかかわらず勤務態度が不真面目で昼間休車して時間外走行するなどの点が相変らず認められたため就業規則を読ませて指導したのである。就業規則を遵守せず不良な勤務態度を続ける従業員を厳重に指導、監督することは使用者として当然のことである。

(7) 同3(1)<7>のうち、郷原の相互タクシー入社に際しての経緯は争う。巧常務は湊タクシー常務とは全く面識もないし、また、相互タクシーと湊タクシーは同一人物が社長を兼任しているところ、相互タクシーの運転手従業員の多数が全自交傘下の組合に所属していることは業界では周知の事実であるから、巧常務が被告主張のような情報を流すことはありえない。

(三)(1) 同3(2)(会社乗務員の勤務形態と時間外勤務をめぐる労使の対立)の事実中、<1>は認める。

(2) 同3(2)<2>のうち、昭和五三年六月五十川労組から原告会社に対し時間外走行をさせてほしいとの要望書が提出されたこと、山下専務が中村に対し五十川労組から提出されていた要望書との関係で参加人組合からも要望書を提出してみたらどうかと言ったこと、昭和五三年一二月の道路交通法の一部改正に伴う交通規制の強化により交通渋滞が激化し、原告会社近辺のタクシー利用客から午前七時三〇分ころを中心に、車庫内に車両もあり運転手もいるのに輸送を拒否するのはけしからんとの苦情が再三にわたり申し入れられたため、右苦情に対する対応策として巧常務が五十川労組及び参加人組合に午前七時三〇分出庫の勤務時間制を提案したがいずれからも回答がなかったことは認めるが、その余の事実は争う。山下専務が要望書の提出に触れたのは、もし参加人組合の執行委員長である中村が時間外走行をさせてほしいというのであれば、他方の組合と同一条件での申し入れがない以上原告会社の対応を考えるにしてもこれを決めかねるし、組合間での差別の問題を生ずるおそれもあるとの考えから、参加人組合からも要望書を出してみたらどうかと言ったにすぎない。

前記のとおり時間外走行を認めない方針をとっていた原告会社に対し、運転手従業員からは、昭和四五年に約三名の連名で、次いで昭和五二年二月ころ及び同年六月ころ五十川労組から、それぞれ時間外走行をさせてほしいとの要望書が提出された。しかし、原告会社としては、いずれの場合にも基本的にはこれを認めていない。特に昭和五三年一二月の道路交通法の一部改正に伴う交通規制の強化により交通渋滞が激化して以来、原告会社本社が西鉄バス五十川停留所の真向いにあるうえ国鉄博多駅や福岡空港まで比較的近い距離にあることもあって、午前七時三〇分前後を中心に原告会社近辺のタクシー利用客から、車庫内に車両もあり運転手もいるのに輸送を拒否するのはけしからんといった苦情が日増しに多くなり、他方、原告会社のタクシー営業の認可にあたって地元住民から署名を得るなどの協力を得たという経緯もあり、客商売であるタクシー会社としてはこのような地元乗客の苦情を放置することができなくなった。そこでまず、原告会社の二つの組合に対して午前七時三〇分出庫を提案したがいずれからも回答がなかったのである。そのため、その後も全運転手従業員に対し勤務時間厳守を徹底してきたものであり、参加人組合の組合員に対してのみ勤務時間厳守を徹底させたという事実はない。

(四)(1) 同3(3)(中村に対する出勤停止処分及び減給処分について)の事実中、<1>のうち原告会社が昭和五四年四月二日、午前七時五五分ころ出社するよう指示したことは認めるが、右指示は前記苦情対策の一環として全運転手に対してしたものであって、参加人組合の組合員のみを対象として指示したものではない。当日は、巧常務及び中村誠課長を通じて、参加人組合の組合員であった柿添和義、湯浅及び亀石のほか五十川労組の組合員であった藤井幸二及び永田政広に対して同時に点呼を行い、出社時刻の規制を言い渡したものである。なお、原告会社は、同月一日の点呼においても同様の指示をしたし、更に、右指示を五十川労組に対しても厳重に申し入れて徹底させたのである。

(2) 同3(3)<2>のうち、中村が同月四日、右指示にもかかわらず、午前七時一八分ころ出社したので、巧常務が中村ほか二名に対し再度苦情防止のため午前七時五五分ころ出社するよう指示した際、中村が「黙れ。」「苦情を言っている者の家を教えろ。」と言ったことは認めるが、同人が「組合員を差別するな。」「なぜ我々だけするのか。」「全員八時五分前に出社させろ。」と反駁した事実はない。当日は、点呼責任者である巧常務が中村らに対し同月二日に指摘した乗客からの苦情に対処するため午前七時五五分ころ出社するよう重ねて指示、指導していたところ、中村は、突然座っていた椅子から立ち上がり、大声で「お前、黙れ、何を言うか。」と叫んで柿添の制止を振り切り、「苦情を言っておる者の家を教えろ。おれが行って話をつける。」と申し立て、更に「お前はおれを困らせるために言っているのだ。」と叫び、巧常務に今にも殴りかからんばかりの勢いで詰め寄って来たが、再度傍らにいた柿添に止められたため、大事に至らずにすんだのである。

(3) 同3(3)<3>のうち、中村が昭和五四年四月二三日担当車の後部トランクに組合関係の印刷物一〇数枚を積載していたことは認める。

(4) 同3(3)<4>の事実は認める。

(5) 同3(3)<5>前段のうち、中村が昭和五四年六月九日及び同月一〇日の両日組合情宣紙を出勤してくる従業員に配布したことは認める。同後段の事実は認める。中村は、同月九日及び同月一〇日の両日、原告会社の第二車庫(原告会社の運転手従業員の駐車場)において原告会社に無断で出勤してくる従業員に対し組合ビラを配布し、また、同月一〇日同車庫内に駐車中の各従業員の自家用自動車の前面窓ガラスに右組合ビラを掲示したのであり、右窓ガラスに組合ビラを掲示したのは中村ではなく江頭直であるとする被告の認定は誤りである。

2  被告が主張する法律上の判断に関する原告の反論は、次のとおりである。

(一) 別紙命令書の理由「第2 判断及び法律上の根拠」の項の1において参加人組合に対する介入行為として要約されている事実関係は、前記四1(二)のとおりそもそも存在しないか、または意味合いの異なるものであって、労働組合法七条三号のいわゆる支配介入に該当する行為はなかったのであるから、これありとした被告の判断は事実認定を誤り、ひいては法律上の判断を誤ったものというべきである。

(二) 同2の勤務時間の規制に関しては、原告会社が被告主張のような差別的取り扱いをしたことがないことは前記四1(三)のとおりであり、労働組合法七条三号の支配介入に当る点はないから、これありとした被告の判断は、事実認定を誤り、ひいては法律上の判断を誤ったものというべきである。

(三)(1) 同3の中村に対する懲戒処分に関する判断のうち、第一に同人の昭和五四年四月四日の行為は企業秩序維持の観点から容認しがたい極めて悪質なものであって、被告の主張するような「多少の行きすぎ」にとどまるものではない。第二に同人の同月二三日の業務に関係のない印刷物を無断で原告会社の営業車両に積載していた行為については、同人は少なくとも昭和五一年一一月一四日、昭和五二年九月一六日及び昭和五三年七月二二日の三回にわたって同種行為を繰り返しており、そのたびごとに原告は同人に厳重な注意をしてきたのであって、それにもかかわらず更に本件行為に及んだことは情状が重いというべきであり、「違反は極めて軽微である」ということはできない。

そして、これらの事実は原告会社就業規則五一条四項、五二条一〇項若しくは四九条四項に該当するものであって、原告が中村を一五日間の出勤停止の懲戒処分に付したことは適法であり、不当労働行為とされるべき点はない。したがって、これを労働組合法七条一号に違反する不当労働行為であるとする被告の判断は、事実認定を誤り、あわせて法律上の判断を誤ったものというべきである。

(2) 更に、同年六月九日及び一〇日の両日の件については、中村は原告会社の施設管理権の及ぶ構内である第二車庫内において組合ビラを配布するなどしたものであって、このような行為は正当な組合活動の範囲を逸脱している。したがって、これを組合の正当な活動として認められる程度の行為であるとする被告の判断は、事実の認定を誤り、ひいては法律上の判断を誤ったものである。

3  仮に、原告が被告主張のような不当労働行為をしたものであるとしても、労働委員会は救済命令において使用者に謝罪文や誓約書の交付又は掲示を命ずることは許されないから、本件命令主文3項は違法である。

(一) 謝罪という行為は、倫理的な判断、感情ないし意思の発露であって、本質的に外部からの強制に適しないものであり、また、謝罪者本人にとって屈辱的な意味を有するものである。不当労働行為救済申立手続において被申立人である使用者が自発的な謝罪を拒否し、あるいは不当労働行為の成立を争う場合に救済命令で謝罪文の交付又は掲示を命ずることは、被申立人の判断や感情を強制して被申立人に不当かつ不必要な屈辱を強いることになる。

不当労働行為の成否につき争いがある場合に、これを公権的に判断するのはまず地方労働委員会であり、その命ずるところは被申立人が内心これに服すると否とにかかわらず強制力を有するものである。しかしながら、労働委員会の命令に従わなければならないということと、被申立人自身が労働委員会と同意見であること、すなわち、「不当労働行為をした。」「悪かった。」ということを社会的に告白、表示するよう強制されることとは別個の問題である。被申立人が当該事件について労働委員会と全く同意見であることを心ならずも告白せしめられるということは、人間の心そのものに対する法的強制を敢えてするものであり、良心の自由、沈黙の自由を保障する憲法一九条に違反し、また、個人の尊重を規定する憲法一三条にも違反するというべきであり、およそ近代社会において法的強制を加えうる事項としての範囲を逸脱するものといわざるをえない。

不当労働行為が法人によって行われた場合、法人には憲法で保障されるような良心なるものは存在しないとの異論もあるが、それならば、そのような法人をして謝罪という倫理的な判断や感情の表明をなさしめるということ自体矛盾であり無意味であるというべく、不当労働行為について法人、自然人ともに同様の責任を問う以上、法人の場合も自然人の場合と異なるところはないというべきである。

(二) 更に、誓約文の交付又は掲示についても、特定の事項について作為又は不作為の態度をとることを誓約するということは、その結果として、右誓約ないしはこれを要素とする合意の成立により当事者に法的拘束を生じ、当事者はその違反につき債務不履行などの責任を負担することになるのであって、特定の私法上の法律関係を創設することになるものであるところ、かかる意思表示をなすことを被申立人に法的に強制するにはそのような意思表示をなすべき債務発生の法律要件が必要であり、これらを公権的、終局的に判断するのは司法機関である裁判所だけであって行政機関たる労働委員会にはそのような権限は与えられていないのである。

法律行為をするかしないかは各人の自由であり、現行法律制度の下で法律上の根拠なしに特定の法律行為をなすことを他に強制することが許されないのは多言するまでもない。労働委員会に救済命令によって契約締結を強制することができる権限が与えられているなど到底考えられないところである。

(三) もともと、文書掲示命令(いわゆるポスト・ノーティス)の目的は労働委員会の命令についての事実及び使用者の処置を組合員に周知させることにあり、それ以上に踏み出すことは制度の目的以上のことをすることになる。仮に不当労働行為の被害者保護の必要上憲法の保障する沈黙の自由もある程度制限を受けてもやむをえないとしても、それは真に必要やむをえない場合に限定すべきことは当然であり、不当労働行為について被申立人に作為又は不作為を命令したほかになお謝罪ないし誓約を強制することが必要であると認められる場合は恐らくないであろう。救済命令についての事実及び使用者の処置の組合員への報告以上に不当労働行為を自認、謝罪する表示を強制することは、申立人のうっ憤を晴らす報復以外の何ものでもなく、救済命令として許された限度を超えることは明らかである。

五  原告の主張四3に対する被告の反論

原告は、不当労働行為に対する原状回復の方法として謝罪文や誓約書の交付又は掲示を命ずることは許されないと主張するが、労働組合法二七条に基づく労働委員会による救済制度は、労働者の団結権及び団体行動権の保護を目的とし使用者の同法七条に該当する組合活動侵害行為に対しその是正を命ずることにより正常な集団的労使関係秩序の迅速な回復及び確保を図ることを趣旨とし、そのため、専門的知識経験を有する労働委員会に対し、その裁量により個々の事案に応じた適切な是正措置を決定しこれを使用者に命ずる権限をゆだねているものである。

そして、労働委員会の発する命令において謝罪文等の掲示や交付(いわゆるポスト・ノーティス)を命ずることは、こんにち実務上定着した救済実現の方法である。なるほど、不当労働行為をした使用者であっても、これに対し文字どおり謝罪を命ずることは憲法一九条に違反するとする見解もある。しかしながら、労働委員会の命ずるいわゆるポスト・ノーティスは、使用者の行為が労働委員会によって不当労働行為と認定された事実を関係者に周知徹底せしめ将来同種の行為の再発を抑制することを主眼とするものである。したがって、使用者に倫理的な意味での謝罪の意思表示を要求することを本旨とするものではない。被告が「下記文書を……掲示しなければならない。」との表現を用い、その文書の内容も「会社の下記の行為については、福岡県地方労働委員会の命令により労働組合法第七条第三号の不当労働行為と認定されましたので、今後このような行為は致しません。」という文言を用いるにとどめたのも右の趣旨に出たものである。

したがって、本件命令主文3項は、憲法一九条に違反するものではなく、また、被告に与えられた裁量権の範囲内で命じたものであって適法である。

六  参加人の主張

1  原告会社の一貫した組合敵視

(一) 組合結成当時

原告会社には、もと運転者互助会があったがそれは原告会社主導で運営され、従業員の労働条件改善の要求を取り上げる組織がないとの不満から、昭和四九年四月労働組合が結成され、昭和五〇年三月同組合は全自交に加盟して全自交福岡地連五十川タクシー労働組合(以下「全自交組合」という。)となった。原告会社は、組合結成の当初からこれを敵視し組合の結成や活動を妨害しようとしてきた。たとえば、原告会社は、組合の結成大会における結成についての議決に疑義があるとして原告会社役員出席の場で全従業員の意思を再確認することを要求してこれを実行させたり、また、当時の組合委員長に対し再三にわたって全自交からの脱退を慫慂し、全自交から脱退できるよう労使協力するとの覚え書を取り交わさせ、更に、中村寛興が昭和四九年六月原告会社に入社する際、同人に組合活動を行わないことの誓約書を提出させるなど組合活動を違法に妨害する行為を始めたのである。

(二) 福岡労委昭和五一年(不)第二八号事件救済申立て当時

原告会社は、その後も組合活動を妨害すべく不当労働行為を繰り返した。すなわち、昭和五〇年六月ころにはいわゆる第二組合を結成させるべく画策し、組合員の一部に対し第二組合の組合費については原告において援助をするとして第二組合をつくるよう依頼した(この時は第二組合結成工作は失敗したが、その後昭和五一年九月に第二組合が結成された。)、昭和五一年度の賃金改訂案を討議するための組合大会に際して、原告は組合員の一部に原告会社に有利な案を提案させ、この案に賛成するよう組合員に勧めたり、あるいはこれに賛成する旨の委任状を組合員から収集したりして組合大会の討議、決定に干渉した、この時の原告側の賃金改訂案は、組合大会において否決されたが、原告はこれを理由に組合員に対し同年の夏期賞与を三分の一しか支給しないという報復行為に出た、更に、当時全自交組合副委員長であった山本行哉や同書記長であった中村に対しささいなメーターミスや休車の際の手続不備等を理由に出勤停止という過重な懲戒処分を再三にわたって行った。

これに対し、全自交組合は、昭和五一年八月に二日間のストライキを決行して原告会社の不当な組合攻撃に対抗するとともに、福岡地方労働委員会に不当労働行為救済申立てをし、同労働委員会は以上の事実を全て認定して救済命令を発した。右命令書においては、「組合に対し、会社が極度にこれを危険視し、組合を強く敵視、警戒し」、原告の中村に対する懲戒処分は「中村の組合活動に対する嫌悪の情に起因する」と推認し、このころ全自交組合と原告会社とは「相互の間が全般的に極めて不正常な関係を続けていた。」と認定している。

(三) 福岡労委昭和五一年(不)第二八号事件救済命令後の経緯

昭和五三年六月一〇日、右救済命令についての説明とその後の組合のあり方についての協議を議題とする全自交組合の組合大会が開催されたが、原告はこれを機会に組合を壊滅させることを画策し、右大会の議長及び一部組合員を抱き込んでこれに組合解散の動議を提出させ、参加人組合に加入していない二名の票を無理やり解散賛成票に数えて必要の票数をとり組合解散の決議を可決させた。その後すぐに、中村を執行委員長とし匿名組合員二名を加えた五名により参加人組合が結成されたが、原告は、前記救済命令にもかかわらず、この新組合に対してやはり敵視、攻撃政策をとり、本件救済申立てにかかる事実のような不当労働行為を行い続けた。

2  勤務規制による支配介入

原告は、従来から赤字経営のため時間外労働に対する法定賃金の支払能力がないので時間外労働を認めるわけにはいかないとの方針を全運転手従業員に対し明確に打ち出していると主張し、参加人組合の組合員に対する勤務時間の差別的規制を否定する。しかし、原告会社では時間外走行、連勤等の労働基準法をはじめとする法規違反の労働が常態であり、一方においてこのような法規違反行為を積極的に奨励し、他方において何らの合理的な理由なく参加人組合の組合員に対してのみ差別的な勤務時間等の規制を行い参加人組合の組合員の実質賃金を抑制して、原告会社の従業員が参加人組合に加入しないよう、また、組合員が参加人組合から脱退するよう慫慂してきたのであって、原告の右主張は全く事実に反する。

(一) 原告が時間外労働等を規制したことはなく、かえってこれを奨励していたことは次のとおりである。

原告は、中村が原告会社に入社した昭和四九年六月一八日ころ以来時間外労働を規制するどころか積極的にこれを奨励していた。原告がこれを規制したのは、昭和五〇年二月に全自交組合(当時委員長江本正義)が時間外労働に対する法定賃金の未払分の請求をして原告にこれを支払わせたころの約一か月間と、昭和五一年九月に同組合(当時委員長山本行哉)が右同様の請求をしたころの約一か月間だけであり、そのほかには参加人組合に対する昭和五三年六月以降の勤務時間規制に至るまで規制をしたことはなかった。

原告会社の従業員のうち参加人組合の組合員以外の運転手の出勤時刻、退出時刻をみると、原告会社の昭和五四年四月上半期のタイムカードによれば、午前六時三〇分ころ出勤し翌日の午前六時ころ退出していた者もおり、所定の勤務時間を守らない者が多かったことが明らかであり、このことからも原告が時間外走行を認めていたことは明白である。原告はタイムカードの打刻時刻が早い者がすべて定められた出庫時刻よりも早く出庫して時間外走行していたとはいえないと主張するが、原告会社で働くタクシー乗務員は、時間外労働に対し賃金規定(給与規則)上割増金の支払いを受けるようになっていたばかりか、足切制度や業績歩合給制度という刺激的な賃金体系及び時間外走行による運収も水揚に含むという賃金協定の下にあったのであって、このような状況下におかれていたタクシー乗務員が午前六時三〇分ころ出社し約一時間三〇分を無駄にすごして午前八時に出庫していたなどということはありえず、原告の主張は非現実的である。

(二) 原告が勤務時間の規制は一般的なものであり何ら差別を目的としたものではなかったとしその根拠として主張する点がいずれも理由のないことは、次のとおりである。

まず、原告は、午前八時出庫翌日午前二時帰庫の勤務時間を厳守するよう規制した理由として赤字経営のため法定賃金の支払能力がないという企業運営の実情を挙げるが、この理由は運転手が法定賃金はいらないという前提で走行している場合には成り立たないものである。確かに、全自交組合はかつて時間外労働に対する法定賃金を請求したことがあったが、それは、原告会社が昭和五一年度に賃金切り下げ案を全自交組合が拒否したことに対する報復処置として、夏期一時金を三分の一しか支払わなかったために、全自交組合が残る三分の二に対する代償として未払いだった法定賃金を請求したという経緯によるものであり、全自交組合による右の請求は原告会社の理不尽な賃金不払いに対する対抗処置として打ち出されたものにすぎないのであるから、原告の主張する理由は根拠がない。更に、そもそも原告会社は少なくとも昭和四五年度及び昭和四七年度は黒字決算で運賃収入は確実に上昇しており、赤字経営との前提自体虚偽である。

また、原告は、午前七時五五分ころ出社するよう規制したことの理由としてタクシー利用客の苦情が日増しに多くなり放置することができなかったという点を挙げるが、当時運転手がいるのになぜ車を出さないのかという苦情があったのは七件にすぎない。当時は、原告会社には午前一〇時出庫翌日午前一〇時帰庫の勤務時間制の車両が七台あったのであるから、午前八時より前の利用客については右七台の車両で十分対処できたはずであり、このような対応策こそ第一にとるべきであった。更に、運転手がいるのになぜ車を出さないのかという苦情があったときには、当該運転手に車を出すのを許してやればよかったのである。こういった合理的処置をとらずに午前七時五五分ころ出社するようにとの規制を打ち出したことは参加人組合の組合員に対する悪意に満ちたいやがらせであり、明らかに不合理な差別である。

3  参加人組合の組合員に対する支配介入の具体的諸事実

本件命令がその理由において認定した(一)昭和五三年六月下旬ころ巧常務が亀石に対し参加人組合の組合員は午前八時出庫翌日午前二時帰庫の勤務時間制を厳守させるので、五十川労組に加入したほうが得策であるかのような趣旨の話をした、(二)同年七月一日点呼の訓示の中で巧常務が参加人組合の組合員は挙手してほしいと発言した、(三)同年八月二〇日ころ山下専務が亀石に対し労働組合に加入しないことの理由書の提出を指示した、(四)同年八月二八日巧常務が亀石及び豊田に対し午前八時出庫翌日午前二時帰庫の勤務時間制を厳守するよう指示した、(五)同年九月二日巧常務が湯浅に対し右(四)同様の指示をした、(六)同年九月四日巧常務が豊田に対し午前八時出庫翌日午前二時帰庫の勤務時間規制に違反したことを理由として始末書の提出を求め、加えて参加人組合に加入したら不利益になる旨発言した、(七)巧常務が郷原の就職を妨害した、との諸事実は、それらが行われた当時の原告会社における労使の状況に照らせば支配介入行為であることが明らかである。

右諸事実は、昭和五三年六月から九月にかけてのできごとであるが、それより二か月前の同年四月二七日には原告の不当労働行為を認定した福岡労委昭和五一年(不)第二八号事件についての救済命令が発せられている。救済命令を得た全自交組合であったが、右救済の申立てから命令の発布まで約一年半を要したこともあって組合員数は三五名から一一名に減少していた。原告は、右救済命令に対しこれを法的手続で争うことをせず、実力行使ともいえる暴挙に出た。すなわち、松田利夫を介して全自交組合の組合大会において解散決議をさせたことがそれである。これに対し中村が他の者とともに参加人組合を結成したことは、原告にとって大きな誤算であった。そこで、原告は同年六月三〇日五十川労組との間でユニオン・ショップ協定及びチェック・オフ協定を締結して五十川労組に肩入れする一方、参加人組合を潰滅させるため各個撃破をもくろんだのであり、それがとりもなおさず前記(一)ないし(七)の所為なのである。なかでも(二)の事実は、それ以降展開される支配介入行為の端緒ともいうべきものである。すなわち、同年六月二五日に提出された同月二二日付の結成通知書に中村外五名と記載されていたところから、原告は当時参加人組合の組合員と判明していた中村、湯浅及び郷原以外の組合員が何人であるかを確認するため右行為に及んだのである。チェック・オフの関係については、五十川労組から直接組合員名簿の提出を受ければすむことであり、チェック・オフの直近実施日は同年八月一〇日だったから同年七月一日に組合員の確認をしておく必要はなかったはずである。

こうした支配介入行為の結果、参加人組合は一定の打撃を受けた。すなわち、同年八月半ば郷原が退職し、同年九月豊田が参加人組合から脱退したのがそれである。

4  中村に対する不当労働行為

右のような状況下にあって、昭和五四年三月三〇日五十川労組の組合員であった柿添が参加人組合への加入を表明した。これに対し、三日後の同年四月二日から原告は第二次の参加人組合員いびりとして、午前七時五五分ころ出社するようにという出社時刻の規制(但し、当初は仕業点検時刻の指示)をし、続いて中村に対する一連の懲戒処分を行ったのである。

(一) 昭和五四年五月二八日から同年六月一一日までの一五日間の出勤停止処分について

問題とされる昭和五四年四月四日の中村の言動は、次のとおりであった。

当日、中村、柿添及び亀石の三名は、午前七時二五分ころ出社したところ、点呼室で巧常務から「全自交組合員は八時五分前に出社せよと業務命令を出しているのに、なぜ早く出社したのか。」と注意された。しかし、同年四月二日の指示は「全自交組合の組合員は八時五分前に仕業点検を行い八時に出庫せよ。」というものであって出社時間については何も言及されなかったので、中村ら三名は当日従来どおり出社したものである。右の注意を受けた際、亀石が血相を変えて「全自交組合員は八時五分前に出社すればよかとやろ。」と言って巧常務に近付いていったので、中村は暴力沙汰になってはいけないと思い、巧常務と亀石の間に入り、「なぜ全自交組合員だけ差別するのですか。」「利用客の苦情があったのであれば教えていただきたい。」と言ったにすぎない。以上のとおり、暴言を吐いたり暴力的威圧を加える行為はなかった。

そもそも同月二日の巧常務の指示は、「全自交組合員のみは、八時五分前に仕業点検をせよ。」というものであり(しかも、その理由については、一切説明がなかった。)、右指示は合理性のない参加人組合に対する悪意に満ちたいやがらせ以外のなにものでもなく、かかる不当な業務命令は、原告会社の就業規則五一条四項にいう「業務命令」に含まれないと解すべきである。

したがって、右いずれの点から言っても中村の右言動は右就業規則条項に該当しない。

また、同月二三日の件は、そもそも出勤停止事由に該当しない。

(二) 同年七月七日付減給処分について

問題とされる同年六月九日及び同月一〇日の両日、中村が組合の情宣紙を配布したのは第二車庫内ではなくその前の公道上においてである。公道に原告会社の施設管理権が及ぶことはないから、右配布行為は原告会社の就業規則五〇条三号にいう「社内」においてなされたものではない。

以上のとおり、中村に対する各懲戒処分は、いずれも事実を歪曲し就業規則の懲戒事由に該当しない行為につきなされたものであり、前記のような経緯の下で参加人組合の組合員に対するいやがらせとしてなされた不当労働行為である。

第三証拠(略)

理由

第一本件救済命令の成立

被告が参加人を申立人、原告を被申立人とする福岡労委昭和五四年(不)第一〇号不当労働行為救済申立事件について昭和五六年四月一三日付で本件救済命令を発し、右命令書の写しを同年五月一二日原告に交付したことは当事者間に争いがない。

第二当事者関係

(証拠略)によれば、原告は旅客運送事業を営む有限会社で、肩書地(略)に本社事務所及び営業車両の車庫を有して従業員約五〇名によりいわゆるタクシー営業を行うものであり、参加人は原告の従業員で組織された労働組合であることが認められる。

第三事実関係

一  参加人組合結成までの経緯

(証拠略)を総合すると、次の事実が認められこの認定を覆すに足りる証拠はない。

1  原告会社には、昭和四七年ころから労使各二名の代表者によって運営される運転手互助会と称する組織があり、従業員の労働条件に関してもそこで協議、決定されていたが、右互助会の運営がともすれば会社側主導に傾くとの従業員らの不満から昭和四九年四月二七日ころ五十川タクシー労働組合が結成され相当数の従業員がこれに加入した。ところで、同年二月タクシー運賃の値上げがなされたが、原告会社においてはこれに伴う歩合給の賃率改訂が行われないまま引き続き同年一二月のタクシー運賃値上げという事態を迎えたため、原告会社は、タクシー乗務員に対する給与支払いの負担が累増するとして、翌昭和五〇年一月初めころ右組合に対し、とりあえず歩合給の賃率を一定程度引き下げる暫定賃金案を同年二月から実施したい旨申し入れたが、組合側はこれに応ぜず、そのころ組合大会において全国自動車交通労働組合福岡地方連合会(以下「全自交福岡地連」という。)に加盟することを決定し、同年二月ころその旨原告会社に通告した(以下この時点以降の同組合を「全自交組合」という。)。その後、全自交組合と原告会社との折衝の結果、両者間において同年三月九日付でユニオン・ショップ協定及びチェック・オフ協定が締結されたが、その際右各協定締結の引き換え条件として全自交福岡地連からの脱退を方向づける覚え書が取り交わされた(なお、右各協定は、右覚え書による合意が破棄されたこともあって、昭和五一年四月原告会社にとって企業運営上メリットがないなどの理由で更新を拒絶された。)。

2  その後、同年度夏期賞与の問題とからむ賃率改訂に関する全自交組合と原告会社との団体交渉を経て、同年八月同組合側が一定の賃率引下げに応ずることとなり、同年九月六日付で、運賃収入二四万円を足切線としこれに対し定率五〇・三パーセントの歩合給を支給する、運賃収入が二四万円を超える場合はその超過額の四七・二パーセントを業績歩合給として支給し、これに満たない場合は運収一五万円を境にそれぞれ四五パーセント又は三八パーセントを歩合給として支給するなどの内容の賃金協定が締結された(なお、右協定には同年一〇月一日付で足切線に満たない運賃収入に対する賃率を引き上げるなどの改訂が加えられた。)。しかしながら、原告会社は、右賃率改訂後も賃率が比較的高率であったため、これが原告会社の経営を圧迫しその赤字の主因をなしているとして、翌昭和五一年度に再び賃率引き下げ案を全自交組合に対し提示した。これに関する妥結のないまま同年度夏期賞与の団体交渉に入ったところ、原告会社は、賃率引き下げが実現しなければ賞与を十分に支給することもできないとして、暫定的に大手企業の賞与支給額の三分の一を支払う旨同組合に通告し、同年八月一一日ないし同月一三日ころその支払いをした。これに対し、同組合は、(一)同月一四日から同月一五日にかけて四八時間のストライキを構える、(二)賞与が支払えないというのであればその代わりとして、従来請求しない方針であった時間外労働に対する法定賃金を過去三年分遡及して支払うよう請求する、との対応策をとることとし、右計画どおりストライキを行うとともに同月一九日付で原告会社に対しその従業員三八名の署名を添えた「公休出勤、連勤、時間外手当等の未払賃金支払請求書」を提出し、更に、同月末ころ賃金問題につき福岡県地方労働委員会に対しあっせんの申立てをした。ところで、そのころ、原告会社従業員の間でいわゆる第二組合結成の準備が進められ、同年九月一四日ころ五十川タクシー新労働組合が片桐紀雄以下約一五名により結成された。そして、前記あっせん自体は不調に終わったが、その後の団体交渉等を経て全自交組合と原告会社との間で同年九月半ばすぎころ一定の賃率引き下げに合意することとなり、昭和五一年度の賃金協定が締結されるとともに同年度夏期賞与の未払分も支給された。

3  一方、全自交組合は、同月二〇日、福岡県地方労働委員会に対し、(一)当時同組合書記長であった中村寛興につき同人が原告会社に入社した際組合活動をしない旨の誓約書を提出させたこと、(二)同組合副執行委員長であった山本行哉に対する昭和四九年一二月三〇日から四日間の出勤停止処分、(三)昭和五〇年六月ころ原告会社従業員に働きかけて第二組合の結成を工作したこと、(四)昭和五〇年八月から昭和五一年四月にかけての中村の勤務時間内組合活動等を無断職場離脱であるとしてした同月一〇日から二日間の出勤停止処分、(五)同年九月一〇日の賃金改訂案討議のための組合大会に際し一組合員と気脈を通じて原告会社に有利な賃金改訂案を提出させる一方、これに賛成するよう組合員に働きかけたこと、(六)同年五月から同年八月にかけての中村の勤務時間内組合活動などを理由としてした同年九月一三日から四日間の出勤停止処分、その他の事由をもって原告会社による不当労働行為がなされたとして不当労働行為救済の申立てをした結果、右(一)ないし(六)の事由をもって不当労働行為であるとし組合の運営に対する支配介入禁止、右各出勤停止処分撤回等を原告に命ずる同労働委員会の昭和五三年四月二七日付救済命令書の発布を受け、同年五月二四日ころ右命令書の写しの交付を受けた(福岡労委昭和五一年(不)第二八号不当労働行為救済申立事件)。原告会社もそのころ右命令書の写しを交付されたが、これに対する再審査の申立ても取消しの訴えの提起もすることなく、労働組合法二七条六項所定の期間の経過により右救済命令は確定した。なお、このころ全自交組合の組合員数は一一名に減少していた。

4  そこで、全自交組合は、同年六月一〇日右救済命令の内容の説明とその後の組合のあり方について討議するため組合大会を開催することとなった。これに先立って、組合員の間に全自交福岡地連から脱退しようという署名運動が起こり、組合員中八名がこれに賛成し、中村、湯浅萬吉及び郷原福勇の三名が右署名を拒否するという状況があった。このような背景のもとに、組合大会が開かれ、席上、議長に選出された松田利夫に対し組合員渡辺進から同組合を解散する旨の議案が動議として提出され、その採決に際し、同年二月ころ二名の者が組合に加入していたとして右二名の賛成票を加えて組合員数の四分の三を超える賛成ありとして右議案が可決された。他方、五十川タクシー新労働組合は同月二〇日付で「五十川タクシー労働組合」(以下「五十川労組」という。)と名称変更し、なお、全自交組合の解散決議に賛成した者らは五十川労組に加入した(その後、松田利夫はその書記長に、渡辺進はその執行委員長となった。)。

右解散決議に反対した三名は、同月二二日ころ中村を中心として第二次の全自交組合(参加人組合)を結成した。その執行委員長となった中村は、同日付で原告会社に対し「昭和五三年六月一〇日組合を結成し、全自交福岡地連に加盟致しましたので右御通知致します。組合員数執行委員長中村外五名。」と記載した組合結成通知書を提出した。中村が右結成通知書に組合員数を「中村外五名」と記載したのは、「中村以下五名」の趣旨であり、当時五十川労組に加入していなかった亀石慶勝と永田政宏とが全自交組合に好意的な姿勢をとっており参加人組合に加入する見込みがあると受けとめていたためであった。また、単にその数を示したのみで中村以外の者の氏名を明示しなかったのは、中村らが全自交福岡地連からの脱退運動、全自交組合の解散決議の強行等の背後には原告会社による策謀があると判断し、全自交組合の解散の直後に再び全自交系の参加人組合が結成されたとなれば当然その組合員が原告会社から不利益な取扱いを受けたり圧力を加えられることになると考えたためであった。

そして他方、五十川労組は、同月三〇日ころ、原告会社との間でユニオン・ショップ協定及びチェック・オフ協定を締結した。右チェック・オフは、同年八月分の賃金から実施することとされていた。

二1  昭和五三年七月一日及び同月二日の各点呼時における巧常務の訓示中の発言

昭和五三年七月一日及び同月二日の各点呼時に巧常務が五十川労組との間にユニオン・ショップ協定が締結されたことを説明したことは当事者間に争いがなく、右争いのない事実に(証拠略)を総合すると、次の事実が認められる。

同月一日、参加人組合の組合員である郷原を含む従業員一八名を集めて行われた一斉点呼の席上において、巧常務は訓示に付随して、五十川労組からユニオン・ショップ協定及びチェック・オフ協定の締結申入れがあり原告会社は労使の繁栄と平和のためにこれを受け入れた、ついては同年八月から毎月五〇〇円を給料から控除するが五十川労組の組合員数と参加人組合の組合員数を合計してみると原告会社の従業員数に照らして数が合わないようなのでここで確認したい旨前置きして、参加人組合の組合員は挙手するようにと発言した。これに対し、当日の点呼に出席していた従業員のうち唯一人の参加人組合の組合員であった郷原が右発言に応じて挙手した。

更に、同月二日、参加人組合の組合員である中村、湯浅らを含めた従業員約二〇名を集めて行われた一斉点呼の席上、巧常務が右同様の発言をしたので、これに対して中村は、チェック・オフの関係ならば五十川労組から組合員名簿が提出されているはずであるからことさらに参加人組合の組合員に挙手させる必要はなく組合活動に対する介入である旨抗議した。

前記一で認定した経緯に照らして右各証拠を検討すると、同月一日及び同月二日の各一斉点呼の席上での巧常務による参加人組合の組合員は挙手するようにとの発言は、新たに結成された参加人組合が同年六月二二日付で通告してきた結成通知書に「組合員数執行委員長中村外五名」と記載してあったため、既に原告会社側で参加人組合の組合員であると把握していた中村、湯浅及び郷原の外になんぴとが参加人組合の組合員となったかについて知ろうとしてなされたものであると認めるのが相当である。

なお、原告は、右一斉点呼における発言について、ユニオン・ショップ協定の関係でいずれの組合にも所属していない従業員につき問題が生ずることになっては困るので、協定の意義に関して説明したにすぎず、その際、「全自交組合員は挙手してほしい。」などと発言したことはなく、また、郷原が挙手したとか、中村が抗議したという事実はないと主張し、(証拠略)には右主張に沿う部分がある。しかしながら、(証拠略)によれば、原告は、本件不当労働行為救済申立事件の審問手続において、巧常務はいずれの組合にも所属していない従業員の確認をしたものである旨主張していたこと、また、被申立人提出書証として、巧常務が点呼の際いずれの組合にも所属していない者は挙手するように述べた旨の記載のある従業員連名による陳述書を提出していたこと、そして、本園巧が右審問手続において証人として右書証を自己の供述を裏付けるものと証言したことが認められるところ、同人は当裁判所における原告代表者尋問の際には右発言すらなかったごとくにも供述しているところであって、以上のように原告の主張及び本園巧の供述が変遷している事実に加えて、(証拠略)によると、同人は右審問手続において、一斉点呼の際発言する事項は原告会社の従業員の勤務体系等の関係上一〇回近くも同一事項を話さなければならないためすべて点呼簿に記載していたが、これには参加人組合申立てにかかるような事項は一切記載されていない旨繰り返し主張していたにもかかわらず、右点呼簿なるものはついに証拠として提出されることがなかったことが窺われること、更に、(証拠略)によると、昭和五四年三月三〇日ころ参加人組合に加入した柿添和義は、本件不当労働行為救済申立てがなされた同年六月一二日のすぐ後である同年七月初めころ、右申立書を中村から見せられたところこれに記載されている事実に真実と相違している点があり納得できないとして同年七月六日ころ参加人組合を脱退したことが認められるところ、同人作成にかかる(証拠略)を前顕(証拠略)(右申立書)と対照すれば、同人は右救済申立書の各記載事項について、事実との相違点を詳細に逐一指摘しており申立書記載の昭和五三年七月二日の巧常務の発言の部分についても一部明確にこれを否定しているにもかかわらず「全自交組合員は挙手してほしい。」旨の発言をしたとの部分については何ら触れていないことなどの諸事情をふまえて冒頭各証拠を検討すると、原告の主張に沿う前記各証拠は措信することができないものというべきである。

2  同年八月二〇日の山下専務による亀石に対する組合不加入に関する理由書の提出指示

(証拠略)を総合すると、次の事実が認められる。

同年八月二〇日の点呼前、山下専務は、亀石に対し、組合に加入していないことの理由を尋ねたところ、同人がもともと全自交組合の幹部として活動していた者らが現在これに対立する姿勢で主導している五十川労組には加入したくないなどと述べたので、それではそのことを記載した理由書を提出するように、更に、理由書の記載内容については中村課長に下書きをさせて納金袋に入れておくからそれを清書するようにと指示した。そして、亀石が後ほど指示された納金袋を見たところ、理由書の下書きではなく、「本朝、点呼前に、貴殿に指示した組合不加入の理由書に就いては、貴殿自身の筆で詳細を書かれて、八月二四日朝、出社時に必らず会社に提出されたし。八月二〇日 専務」と記載した山下専務直筆の亀石あてのメモが入っていた。

原告は、理由書の提出を指示したことを否定する趣旨の主張をし、また、(証拠略)には当日の会話は、組合に入ることを嫌っていた亀石が山下専務に対しユニオン・ショップ協定が締結された以上どちらかの組合に加入しないといけないのか、いずれの組合にも加入しないですむ方法はないかと相談を持ちかけてきたことにきっかけがあり、また、山下専務の発言もこれに対し好意でした助言にすぎず、同専務が亀石に対し理由書の提出を指示したことはなく、更に前記メモは、亀石自身が理由書をそのうち出すようなことも言っていたので、後刻同人の立場を心配して早く自分自身の手で理由書を書いておいたほうがよいであろうと考えて書いたものである旨の記載ないし供述部分がある。しかしながら、亀石がその後同年八月二八日に参加人組合に加入したことを山下専務に表明したことは当事者間に争いがないから、同人がどちらの労働組合にも入りたがっていなかったとの前提はにわかに採用しがたいし、また、(証拠略)及び参加人代表者尋問の結果によれば、亀石は、前記のメモを見たすぐ後に右メモを封筒に入れ、中村に対して「私に朝課長に書かせておくから、それをせい書してくれとの事を専務が言っていましたが、それの変りに同封の物が入っていました。」とメモ書きして届けたことが認められるうえ、前記メモの記載内容自体からみても当日の朝に山下専務が理由書の提出を指示していたことは明らかであるから、原告の主張に沿う前記各証拠の記載ないし供述部分はそのまま措信することはできず、仮に話のきっかけは亀石のほうから持ち出したものであったとしても、前記認定のような理由書の提出指示が山下専務の好意に基づく助言にすぎなかったものとは到底解することができない。

3  同年八月ころの郷原に対する就職妨害

(証拠略)を総合すれば、郷原は、同年八月ころ原告会社を退職し、その後湊タクシーを経て相互タクシーに就職したが、これに際しては次のような経緯があったことが認められる。すなわち、同人は、原告会社の元従業員で全自交組合の組合員であった井上秀次郎を頼って相互タクシーに入社を希望して折衝した。同人は、当初は同タクシーに入社することができるものと理解していたが、いよいよの段階になって同タクシーから従業員の欠員がないということで採用を断られ、系列会社である湊タクシーを紹介され同タクシーに履歴書を持参したところ、同タクシーにも不採用となった。そこで、同人は、このことを井上に伝え、井上が相互タクシーないし湊タクシー側と交渉したところ(両タクシーは代表者が共通であった。)、原告会社から郷原に対する具体的事実を摘示して同人は好ましくない人物であるから採用しないよう伝えられており、そのような人物は雇うことができないとのことであった。もっとも、井上の尽力により、結局郷原は臨時に一旦湊タクシーに採用され、ここで二か月間くらい稼働した後当初の希望どおり相互タクシーに採用された。右事実によれば、原告会社を退職した郷原に関し、原告会社側から具体的事実を摘示して同人が好ましくない人物である旨の情報を流して郷原の就職を妨害したものと推認するのが相当である。原告代表者本園巧は、自らは相互タクシー又は湊タクシーに情報を流したことはないし、同タクシー側から情報を求めてきたこともないであろうと供述するが、右供述は(証拠略)に照らしにわかに措信しがたい。

三  勤務時間の規制による参加人組合の組合員に対する差別行為

1  原告会社における勤務時間制と時間外走行をめぐる労使の対応

原告会社の勤務時間制が昭和五三年ないし昭和五四年当時二形態であり、その一が午前八時から翌日午前二時までの一八時間拘束で、うち二時間を休憩時間とする実働一六時間の勤務形態、その二が午前一〇時から翌日午前一〇時までの二四時間拘束で、うち午前二時から午前七時までの仮眠時間のほか三時間を休憩時間とする勤務形態であって、原告会社の保有する営業車両二〇台のうち一三台が前者に、七台が後者にあてられていたこと、昭和五三年六月五十川労組から原告会社に対し時間外走行をさせてほしいとの要望書が提出されたこと、山下専務が中村に対し五十川労組から提出されていた要望書との関係で参加人組合からも要望書を提出してみたらどうかと言ったことは当事者間に争いがなく、右争いのない事実に(証拠略)を総合すると、次の事実が認められる。

原告会社における勤務時間制は、かつては午前一〇時から翌日午前一〇時までの二四時間拘束で、うち午前二時から午前七時までの五時間が仮眠時間、そのほか三時間を休憩時間とするものであったが、昭和五〇年初めころ、全自交組合の要求等により、午前八時から翌日午前二時までの一八時間拘束で、うち二時間を休憩時間とする実働一六時間の勤務形態が加わり、原告会社の保有する営業車両二〇台のうち一三台が後者にあてられていた。ところで、原告会社のタクシー乗務員が右各勤務時間制のもとで時間外走行を行った場合の賃金計算に関しては、昭和四八年度における就業規則中賃金規定の変更後昭和五〇年九月に至るまでは、「残業手当」の項は削除されており、一律に「深夜手当」として給与支給額の六・二五パーセントを支給するものとし、歩合給部分(運収一六万円以上の場合、一万円ごとに六〇〇〇円を歩合給として支給する。)の計算上時間外走行による運収も計算の基礎に含めることとされていた。そして、昭和五〇年九月、全自交組合と原告会社との間で締結された同月六日付の前記一2の賃金協定においては、一旦「公休出勤手当及残業手当」を法定どおり支払うこととされたが、右の条項は、同年一〇月一日付協定書において改訂され、「時間外残業手当については、賃金の歩合給に含む」旨約され、結局、時間外走行をしてもそのことによる特別の手当は支給されず、単に当該時間外走行によって得た運収に対する歩合給として賃金に反映するのみとされた。しかしそれでも、原告会社のタクシー乗務員のうちには、時間外走行をすればこれによる直接の賃金増加がなくともそれに伴う運収増加分が歩合給の額に反映することになるため、積極的に時間外走行をする者も少なくなく、また、乗務員にとっては、右勤務時間を厳格に守るよう規制され時間外走行をしてはならないということになると、それだけ運収も少なくなり、その結果歩合給の額も時間外走行をする場合と比べて低いものとならざるをえないこととなっていた。ところで一方、時間外走行(すなわち時間外労働)に対し労働基準法三七条所定の割増賃金を支払わないことは労使合意の上で申し合わせても同条に抵触することになるところ、原告会社としては、過去において全自交組合が連勤、時間外走行等について福岡労働基準監督署に申告した(昭和五〇年二月ころ及び昭和五一年八月ころ)ため原告会社がその調査を受け、更に、是正勧告を受けるなどしたこともあり、加えて同組合が時間外労働に対する法定の割増賃金の支払いを請求した(前記各証拠によれば、昭和五〇年二月、昭和五一年八月及び同年一二月の三回であり、そのうち昭和五〇年二月の場合は前記監督署への申告にからんで一部組合員のみにその支払いがなされたものであり、また、昭和五一年八月の請求は前記認定のとおり昭和五一年度夏期賞与の一部不払に関係するものであり、更に、同年一二月の請求は全自交組合執行部が同年八月の右請求に際しての組合員の署名を流用、添付してなしたものであることが認められるが、その後は同様の請求を全自交組合ないしは参加人組合がしたことを窺わせる証拠はない。)ことがあるため、表向きは時間外走行を禁止していることにしていた(もっとも、<証拠略>によると、昭和五〇年初めころ全自交福岡地連に正式加盟する前の五十川タクシー労働組合と原告会社との間で、勤務時間、仮眠設備及び連勤等の労働条件の改善要求が問題となり、組合側の申告に基づき福岡労働基準監督署による調査が行われ、そのころ原告会社が勤務時間を守り仮眠時間にくい込む走行などをしないよう指示し、組合側も原告会社事務所内に「経過報告及び今後の組合課題について」と題する掲示文を掲示して、「ここ当分は一八時間内を協力」してほしい旨組合員に要望していたことが認められ、右認定を覆すに足りる証拠はない。そして、冒頭掲記の各証拠によれば、原告会社は、右監督署の調査あるいは組合側からの時間外労働に対する法定賃金請求があった際には、原告会社としては時間外労働を認めてはいないのだという姿勢を何らかの形で明らかにしてはいたものの、全従業員に対し個別的かつ継続的に時間外走行をしないよう命ずるということはなかったものと認められ、右認定に反する証拠はない。)。そこで、原告会社のいわゆる第二組合であった五十川タクシー新労働組合は、昭和五二年二月、また、五十川労組と改称後の昭和五三年六月二五日ころ、時間外走行を許容してもらいたい旨の要望書を提出し、これに対し、原告会社側はこれを受領しつつも右要望を認めるとも認めないとも答えない状態のままで、事実上、所定の出庫時刻前でも乗客の都合によって出庫すること及び帰社途中に乗客の要求に従いこれを輸送することは大目にみるという扱いをし、実際上は定められた出庫時刻や帰庫時刻から大幅にはみだす走行をする者もいたが、一般にはそのことだけのゆえに注意、警告あるいは処分をするということはなかった。そして、山下専務は、五十川労組からの右要望書提出の後、中村に対し全自交組合からも同様の要望書を提出するよう要求したが、中村は、従来どおり黙認ということでいいではないかとして言質をとられることを避けていた。

なお、原告は、時間外労働に関する原告の基本姿勢につき、従来から赤字経営のため時間外労働に対する法定賃金の支払能力がないので時間外労働を認めるわけにはいかないとの方針を全運転手従業員に対し明確に打ち出しており、時間外走行の著しい運転手からは理由書、更には始末書を徴するなどして勤務時間厳守を厳重に指示、指導してきたと主張するところ、(証拠略)には、原告会社は従来から一般的かつ一律に勤務時間を厳守するよう規制してきた旨の右主張に沿う記載ないし供述部分があり、(証拠略)によれば原告会社が時間外走行に関して始末書ないし理由書を従業員から徴するなどしたことがあることが認められるところ、まず、原告代表者本園巧及び(人証略)の各供述についてみるに、(証拠略)によれば、同人らは福岡地方労働委員会の審問手続において証人として供述した際には、細部にくい違いはあるものの、昭和五〇年あるいは昭和五一年ころ全自交組合が時間外労働に対する法定賃金の請求をする方針を示したので原告会社としてはその支払能力がないことから勤務時間を厳守し時間外走行をしないようにという規制を打ち出したものである旨供述していたことが認められ、それ以前からも規制していたという当裁判所における供述との間には齟齬、変遷がみられるうえ、いずれもがいつ、どのようにして従業員に右規制を指示、伝達したのかの点につき具体性を欠く漠然とした供述内容であって、冒頭掲記の各証拠に照らし到底措信することができないし、また、(証拠略)は昭和四五年から昭和四九年三月にかけての理由書ないし始末書にすぎず(なお、その数も合計八通である。)、(証拠略)は昭和五六年九月付の理由書であり、しかもその内容は中村にけしかけられて運収をあげようとして時間外走行をしてしまったというもので、文面上からも中村の言動についての報告に重点があることは明らかであって、その作成時期等からみてこれらの理由書又は始末書の存在が原告の前記主張を裏付けるものとはいえない。更に、(証拠略)は昭和五三年三月の理由書、(証拠略)は同年九月二七日付の警告書であるが、いずれもその内容は点呼を受けずに無断で所定時刻前に出庫したことに関するものでいずれも文面からみて無断出庫に重点があるものと考えられ、必ずしも原告の前記主張を裏付けるものとはいい難い。(証拠略)の記載はにわかに措信しがたく他に前記認定を覆すに足りる証拠はない。

2  参加人組合の組合員に対する勤務時間規制

(一) 昭和五三年九月二日の巧常務による湯浅に対する勤務時間厳守指示

昭和五三年八月二八日亀石が山下専務に対し参加人組合に加入したことを表明したこと及び同年九月二日ころ巧常務が湯浅に対して勤務時間厳守を指示したことは当事者間に争いがなく、右争いのない事実に(証拠略)を総合すると、昭和五三年八月初めころ豊田光三が参加人組合に加入したこと、同月二八日ころ亀石が山下専務に対し同組合に加入したことを表明したこと、同年九月二日ころそれまで午前七時一〇分ころから遅くとも午前七時三〇分ころまでには出庫してそれについて規制を受けたことのなかった湯浅に対して、巧常務が午前八時出庫、翌日午前二時帰庫の勤務時間を厳守するよう指示したことが認められ、湯浅の出社時刻が非常に早かったので従来から度々注意していたし、この日も同様の注意をしたにすぎない旨の原告代表者の供述及び(証拠略)中の中村誠営業課長による当日の点呼内容には勤務時間のことは含まれておらずなんびとに対してもそのような指示がされたことはない旨の記載部分はいずれも措信できず、他に右認定に反する証拠はない。

(二) 同月四日の巧常務の豊田に対する勤務時間厳守その他の指示による脱退慫慂

同月四日巧常務が豊田に対して勤務時間厳守を含め就業規則の指導をしたことは当事者間に争いがなく、右争いのない事実に(証拠略)を総合すると、同月四日巧常務は、豊田に対し、原告会社事務所において二時間以上にわたって同人の勤務態度等について話をしたが、その際、参加人組合の組合員には公休出勤や時間外走行をさせない、また、同組合の組合員は原告会社を辞めても郷原のようにどこの会社にも採用されなくなるなどと述べて、参加人組合から脱退するよう求めたが、豊田がこれを断ったため、同日付で、今般就業規則所定の勤務時間外走行をしたが今後は就業規則どおりにする旨記載した始末書を提出させたこと、その後、豊田は、時間外走行ができないのでは生活することができないとして同月一八日に至って参加人組合を脱退するに至ったことが認められる。原告は、同日は豊田が勤務時間中にボートレース場に行っているということを耳にした巧常務が、昼間休車して時間外走行をするなどの問題のあった同人に対して就業規則についての指導をしたにすぎない旨主張し、(証拠略)には右主張に沿う記載ないし供述部分があり、また、(証拠略)には豊田の就業時間が乱れており朝になって帰庫したので仕事をしていたのかというとそうでもないということがあったので注意したものである旨の本園巧の供述記載があるが、(証拠略)を除いては豊田の当時の勤務振りを裏付ける客観的証拠がないところ、右はそれぞれ、同年七月九日又は同年八月二八日の豊田の乗務記録簿又はタコメーターであって、これによれば、七月九日の乗務の際は確かに翌日午前一時ころから午前六時前まで休車して午前六時前ころから再び走行していること(もっとも、昼間の休車はない。)が認められるが、八月二八日の乗務の際は、走行時間に関する限りとりたてて原告の主張するような厳重な注意をする必要のある走行振りであるとは考えられないばかりか、弁論の全趣旨によれば、本件の不当労働行為救済申立事件の審問手続に際して原告は、容易に当時の豊田の乗務記録簿等を証拠として提出することができたのに右各証拠を除いてはこれを提出しなかったことが認められ、これらの諸事実に照らして冒頭掲記の各証拠を検討すれば、前記の巧常務の豊田に対する話の内容は、同人の勤務態度に対する注意にとどまるものではなく、むしろ、これに藉口して、参加人組合に加入していると不利益がある旨説いて同組合から脱退するよう慫慂したものと認めるのが相当であり、この認定に反する右各証拠の一部は採用することができない。

(三) 同年六月下旬ころ巧常務が亀石に対して参加人組合員は午前八時出庫翌日午前二時帰庫の勤務時間を厳守させるので五十川労組に加入した方が得策であるかのような趣旨の発言をしたとの事実は、本件全証拠によるもこれを認めることができない。もっとも、(証拠略)には右事実があったとする中村の供述記載があり、このころ巧常務が亀石に対し勤務時間を正しく守るように指示したことは原告の自認するところであるが、一方、(証拠略)によれば、本件不当労働行為救済申立てに際し参加人組合代表者中村が被告に提出した申立書(<証拠略>)には、同日亀石が巧常務から、五十川労組とは賃金交渉するが参加人組合とは賃金交渉しない、更に、参加人組合の組合員は午前八時出庫翌日午前二時帰庫の勤務時間を厳守させるので五十川労組に加入するよう慫慂された旨記載されていたところ、前記四1で認定した事情にあった柿添が右申立書記載の右各事実はなかった、亀石が右申立書を中村から見せられたとき事実とは違う旨抗議していたと指摘し、また、亀石もそのとおりである旨述べていることが認められるから、(証拠略)における中村の右供述記載部分は信用できない。

(四) 同年八月二八日亀石が山下専務に参加人組合に加入したことを表明したところ、巧常務が従来出庫、帰庫時刻についての規制を受けたことがない亀石及び豊田に対し午前八時出庫翌日午前二時帰庫の勤務時間を厳守するように指示したとの事実は、本件全証拠によるもこれを認めるに足りない。この点についても、原告が両名に対する勤務時間厳守の指示自体は自認しており、(証拠略)に亀石から右事実があった旨の報告を受けたとの中村の供述記載があることは右(三)の場合と同様であり、更には(証拠略)に豊田が亀石とともに巧常務から「本日より全自交組合員は八時まで出庫してはいけない。」と言われた旨の記載があるが、柿添及び亀石がこれを否定する陳述書を作成していること(このことは<証拠略>から明らかである。)も右(三)の場合と同様であって、とりわけ豊田の関係については、(証拠略)の中村の供述記載上もあいまいなものにとどまり、また、豊田作成名義の(証拠略)の陳述書は、参加人代表者尋問の結果によれば中村が本文を記載したもので、豊田はこれに署名押印等の末尾部分を自らしたにすぎないことが認められ、それだけで信を措くに足りるものと断ずるには躊躇せざるをえず、更に、(証拠略)によると、豊田は同日は勤務日であったが、午前七時二〇分ころに出庫し、翌日午前二時三〇分ころ帰庫したものと認められ、仮に巧常務の右発言が出庫に際しての点呼時になされたとすると、「本日より八時まで出庫してはいけない。」という発言内容と矛盾する感を否めず、巧常務の発言なるもののなされた時期とその内容が右客観的証拠に符合しない面があるので、未だ前記事実は本件証拠上その存否が明らかでないものというべきである。

(五) 昭和五四年四月二日の個別点呼における出社時刻の規制

昭和五四年四月二日原告会社が午前七時五五分ころ出社するよう指示をしたことは当事者間に争いがないところ、右争いのない事実に(証拠略)を総合すると、同日、巧常務は、参加人組合の組合員である中村、湯浅、柿添及び亀石並びに五十川労組の組合員である永田政広及び藤井幸二に対して点呼をした際、顧客による苦情に対する対策であるとの理由で午前七時五五分ころ出社するよう指示し、実質的に参加人組合の組合員のみに対して出社時刻を規制したものと認められる。

これに対し、原告は、右出社時刻の規制は原告会社のすべてのタクシー乗務員に対してなしたものである旨主張し、(証拠略)には右主張に沿う記載ないし供述部分がある。そして、原告は、右のような全乗務員に対する一律的な規制であることの根拠として、昭和五三年一二月ころ以降、しばしば顧客から車もあり運転手もいるのに乗車させないのはけしからんという苦情が午前七時三〇分ころを中心に申し立てられるようになって、原告会社としては、午前七時三〇分出庫の提案もしたが従業員がこれを受け容れなかったため、やむをえず全乗務員に対し午前七時五五分ころ出社するよう指示したものであると主張する。なるほど、(証拠略)によれば、昭和五三年一二月一日道路交通法の一部改正法が施行されたのに伴い通学児童保護等のためメイン道路に車を集めるという方針での交通規制が行われるようになり、原告会社付近も朝のラッシュ時間帯に左折禁止、進入禁止等の時間規制を受け、その結果原告会社前の道路が渋滞しがちになったこと、原告会社の存する五十川地区は国鉄博多駅や福岡空港にも近く、これらの方面への早朝の人の流れは少なくないが、右のように車両の通行する道路が渋滞しがちになったため、路線バスの運行が遅れたり空車のタクシーが渋滞地区を避けたりするようになって、早朝タクシーを利用しようと路線バスの停留所に近い原告会社を訪れ、あるいは予約電話をしてくる客が増加したこと、これに関連して、当該顧客を運送することができない場合そのことに対する苦情も増加し、中には車庫(第一車庫)内に車もあり運転手もいるのに輸送を拒否するのはけしからんという言い方をする者もあったこと、ところで、原告会社は、昭和三九年ころ一般乗用旅客自動車運送事業の免許を受けたが、これに際して福岡陸運局長にその免許申請をしようとしたところ、営業にあてる保有車両の台数が免許基準に満たないという問題があり、そのため五十川地区でタクシー営業をしてもらいたいという地元住民約一〇〇〇名の署名を得てようやく免許を受けたという経緯があり、苦情を申し出る者の中には、このことを指摘する者もあったこと、また、昭和五三年一二月半ばころ原告会社が、参加人組合の執行委員長であった中村及び五十川労組に対して午前七時三〇分出庫とする勤務時間制を提案したが、いずれからもこれに応諾する回答がなかったことが認められ、右認定に反する証拠はない。しかしながら、原告の主張ないし原告代表者本園巧及び証人山下博朗の供述の内容を精査すると、昭和五四年四月の出社時刻規制の理由についての説明は相互に齟齬し、動揺しており、右認定の事実が出社時刻規制の真の理由であったとはにわかに認めることができない。まず、(証拠略)によれば、原告が本件審問手続において提出した「被申立人主張」と題する書面(同書面が山下博朗の手になるものであることは弁論の全趣旨から明らかである。)中では、昭和五四年度に至って改めて時間厳守を指示したが、その理由は従業員の遅刻が増えたこと及び右苦情に対する対策並びに参加人組合からの時間外走行についての法定賃金請求に対する対策であるとし、右苦情対策の必要は従来からあって昭和五三年六月二五日付の五十川労組からの要望書もその一環として徴したものであるように主張し、また、同一の書面の他の箇所では、昭和五四年四月二日の指示は、巧常務が「苦情防止のため、所定の出庫時刻がくるまで車庫内に待機して自主的に出庫しようとしない全自交組合員に対して」午前七時五五分ころ本社第一車庫に来るように指示したと主張していたことが認められる。そして、(人証略)の証言によれば、同人は右審問手続及び当裁判所の第一回の証人尋問の際には、参加人組合の組合員は顧客が原告会社事務所に来て苦情を言っていても第一車庫の中におりながら出庫しようとしないという状態であったため、山下が、参加人組合の組合員に対して「あなた達がどうしても八時からしか出庫しないということであれば、八時五分か一〇分前に出社したらどうか。」と言ったのである旨供述していたが、当裁判所における第二回の証人尋問では、参加人組合の組合員に対してだけでなく全乗務員に対して規制したという趣旨である旨供述を変えている。これに対して、(証拠略)によれば、顧客による苦情申出があった場合本社内に乗務員がいなければ苦情に対する弁解がしやすいから、管理職相談のうえ苦情対策としてそのような規制をしたものであると同人が供述していることが明らかであって、以上のように相互に齟齬し、あるいは変遷する内容の証拠のうちいずれかが措信するに足りるものと解しうる的確な証拠もない。したがって、原告が右出社時刻規制の根拠として主張する苦情の問題がそれ自体として認められても、それが真の理由であったとはいえず、ひいてはそれを理由としてした右規制が一律的なものであったと推認することはできないものというべきである。

そればかりか、右指示があった同年四月上半期の原告会社の乗務員の出社時刻等を検討すると、かえって、右指示が全乗務員に対して一律になされたものではないことがうかがわれる。すなわち、(証拠略)によれば、(証拠略)は原告会社のタクシー乗務員のうち午前八時出庫翌日午前二時帰庫の勤務時間制に就いている者を中心とする三四名分の同月一日から一五日までの間のタイム・カードの写真であると認められるところ、これによれば、右三四名の乗務員が出社してタイム・カードを打刻した時刻(以下「出社時刻」という。)は、次のような状況にあったことが認められる。

(1) 四月二日出庫、同月三日帰庫の乗務員の出社時刻

出社時刻を時刻順にみると、林田政男午前六時五分(以下この項においては「午前」を省略する。)、児島三雄 六時三六分、亀石 七時一七分、湯浅、中村及び柿添 七時一八分、江頭直 七時二八分、佐保博 七時二九分、山口英雄 七時三一分、熊本源助 七時三二分、鳥巣一雄 七時三五分、永田政広 七時四一分、北森剛彦 七時五九分、福田武志九時四一分(このほか、藤井幸二は「出」とのみ記入している。)。

(2) 右の者らの次回乗務日における出社時刻

右の者らが(1)の次に乗務した日における各出社時刻をみると、林田は同月四日に四時三五分、児島は同日六時四九分、亀石及び柿添は同日七時五四分(但し、両名については後記四1(一)のような特殊事情があり、実際の出社時刻は七時三〇分ころである。)、中村は同日七時一八分、湯浅は同月五日七時一九分、江頭は同月四日七時三三分、佐保は同日七時八分、山口は同月五日七時三八分、熊本は同月四日七時四〇分、鳥巣は同日七時二九分、永田は同日七時四六分、北森は同日八時一分、福田は同日七時九分、藤井は同月五日六時四四分にそれぞれタイム・カードを打刻している。

右(1)、(2)を対比してみると、仮に同月二日に全乗務員に対して午前七時五五分ころ出社するよう指示したものとすれば、少なくとも右指示のあった次の乗務日にはこれを守る者が相当数あるのが通常であろうと解されるところ、実際にはこれを守った者は一人もいないということになる(ただ、時刻に多少の余裕をもってみると、永田がその指示にやや近い時刻に出社したものといえるが、後記のとおり同人は中村ら四名とともに同月二日の点呼を受け同一の指示を受けた者であり、なお、同人は(証拠略)によれば、その後も、同月六日午前七時五五分、同月九日、同月一一日及び同月一三日いずれも午前七時四九分に出社していることが認められる。)。

また、原告は、同月一日の点呼時においても同様の指示をした旨主張するが、同日に乗務した者の次回の乗務日の出社時刻についてみると、前顕丙第二号証の一ないし一七によれば、同月三日は、大島久尚 六時五一分、福江武志 七時七分、江本正義 七時一四分、斉田實 七時二〇分、後藤利美 七時四五分、渡辺孝一 七時五七分、善博嗣 八時一一分、栗国男 一〇時、鴨川修身 一〇時三一分(もっとも、右両名は一〇時出庫翌日一〇時帰庫の勤務時間制に就いたものとみられる。)、同月四日は、宿里龍雄七時二二分、同月六日は、川野朝男 七時二九分であったことが認められ、同月一日に指示があったとすればその趣旨に沿った時刻に出社した者は渡辺一名であることになる。更に、右証拠によって、この三四名について同月三日から同月一五日までの間を通じてみても、参加人組合の組合員及び右永田を除くと午前七時五五分から午前八時の間に出社した者は延一八名、若干余裕をみて午前七時五〇分から午前八時の間をとってみても延一一名が加わるにすぎず、この期間全体での乗務者数が延一六〇名(但し、うち午前一〇時出庫の勤務形態に就いたとみられる者延約五名)であることに照らせば、この期間内にその指示の趣旨に沿った時間帯に出社した者の延人数は全体の約一割であり、多く見積っても二割に満たないし、更に、各人別にみてもこの期間内を通じてその趣旨に沿った時刻に出社していた者は、村山、後藤、北森及び渡辺の四名にすぎず、しかもこれらの者は、同月一日ないし二日に出庫する乗務に就いておらず、したがって同月一日ないし二日の点呼を受けていないか、または、同月一日ないし二日の日自体同一時間帯に出勤していることが認められ、右四名の出社時刻と指示との間には(仮に右指示が存在したとしても)因果関係がないことが明らかである。以上の事実によると、同月一日及び二日の点呼に際し、乗務員全員に対し一律に出社時刻の規制を指示したものとは到底解することができず、原告の前記主張及びこれに沿う前記各証拠の一部は採用することができない。

そして一方、(証拠略)によれば、原告会社における個別点呼は、本来各人ごとに個別的に行うものであるが場合によっては数人まとめてすることもあり、四月二日の個別点呼の場合は、参加人組合の組合員である湯浅、柿添、亀石及び中村のほか五十川労組の組合員であった永田及び藤井も同時にまとめて行われたことが認められるところ、(証拠略)、原告代表者及び参加人代表者の各尋問の結果によれば、原告は、同月四日午前七時二〇分ころ出社した中村、柿添及び亀石に対しては、前記指示に違反したとして個別の警告書を発したが、五十川労組の組合員に対する関係では、同月一八日付で同組合執行委員長あて「警告書」と題する文書を交付するにとどまったこと、(証拠略)によれば、参加人組合の組合員は、湯浅が同月五日の後、柿添、亀石及び中村が同月四日の後、いずれも前記指示に沿った時間帯に出社していたが、これに対し五十川労組の組合員らは前記のように出社時刻がまちまちで、仮に前記指示がこれらの者の一部に対してもなされたとすれば、その指示に対する違反の程度は参加人組合の組合員よりもはるかに著しいものであったことが、それぞれ認められ、これらの事実に(証拠略)を総合すると、巧常務の中村らに対する当日の点呼内容は、表現の上では、参加人組合の組合員のみを対象とした出社時刻の規制ではなかったが、実質的には参加人組合の組合員のみを午前七時五五分ころから午前八時ころまでの間に出社させる目的のものであったと解するのが相当である。

四  中村に対する懲戒処分

1  昭和五四年五月二三日付出勤停止処分

中村が同年四月四日前記三2(五)の指示にもかかわらず午前七時一八分ころ出社したこと、その際巧常務が中村ほか二名に対し再び午前七時五五分ころ出社するよう指示したこと、これに対し中村が「黙れ。」「苦情を言っている者の家を教えろ。」と言ったこと、また、中村が同月二三日担当の営業車両の後部トランクに組合関係の印刷物一〇数枚を積載していたこと、原告が同月四日の中村の言動を会社の指示に従わず勤務時間中業務訓示中の巧常務に対して暴言を吐き暴力的威圧を加えたものとして原告会社就業規則五一条四号、五二条一〇号に該当するとし、同月二三日の行為は同四九条四号に該当するとして、同人を同年五月二八日から同年六月一一日までの一五日間出勤停止処分に付したことは当事者間に争いがなく、右争いのない事実に(証拠略)を総合すると、次の事実が認められ、この認定を覆すに足りる証拠はない。

(一) 中村は、同年四月四日、前記指示にもかかわらず従来どおり午前七時一八分ころ出社してタイム・カードに打刻し、担当の営業車両のトランクに弁当箱を入れようとしたところ、巧常務から前記指示をなぜ守らないかと言われ車両のキーを取り上げられた。その後午前七時三〇分ころ、柿添及び亀石が相前後して出社してきたので、巧常務は、右両名と中村を点呼室の椅子に座らせ、同月二日の点呼の際の指示とその理由の説明を始めた。すると、中村は、突然「黙れ。」と言って椅子から立ち上り、柿添が「やめときない。」ととめるのを振り切って、「苦情を言いよる者の家を教えろ。俺が行って話をつける。」「組合員を差別するな。」「お前が言っていることは嘘だ。お前は俺を困らせるために言っているのだ。」などと言いながら巧常務に詰め寄った。

(二) 中村は、同月二三日、担当の営業車両のトランクの中の私物入れにしているダンボール箱に組合情宣紙等の印刷物一〇数枚を入れていた。

(三) 原告は、同月四日付で、中村、柿添及び亀石に対し、指示された時刻に出社しなかったことにつき警告書を交付し、更に、中村に対し、同月二四日付で、右(二)の行為に関し、「行為事由を文書をもって回答」するよう求める回答要求書を(これに対する回答はなかった。)、同月二五日付で、右(一)の中村の行為に関し、巧常務に対する威圧、脅迫的行為があり、暴力的言辞を浴びせたとして「厳重に警告するとともに、処分については後日決定するものとしてそれまで留保する」旨の通告書を、いずれも内容証明郵便に付して発した。そして、原告は、同年五月二三日付で、中村に対し、右(一)の中村の言動につき、「同年四月二日の出社時刻の指示に従わず、勤務時間中業務訓示中の巧常務に対し暴言を吐き、暴力的威圧を加える行為があった。」とし、それが原告会社の就業規則五一条四号(「業務命令に従わないとき」)及び五二条一〇号(「業務命令に不当に反抗し、業務の妨害をしたとき」)に該当する、また、右(二)の行為につき、「会社業務に関係のない印刷物を無断で営業車両を使用して積載、運搬した。」とし、それが同就業規則四九条四号(「許可なく職務以外の目的で会社の設備・車両・機械器具、その他の物品を使用したとき」)に該当するとして、同年五月二八日から同年六月一一日までの一五日間の出勤停止処分を通告した。

2  同年七月七日付減給処分

中村が同年六月九日及び一〇日の両日組合情宣紙を出勤してくる従業員に配布したこと、原告が右の中村の行為をとらえて原告会社の就業規則四〇条一三号及び五〇条三号に該当するとして、同年七月七日、同人を減給処分に付したことは当事者間に争いがなく、右争いのない事実に(証拠略)を総合すると、次の事実が認められる。

中村は右1の出勤停止処分の期間中である同年六月九日及び同月一〇日の両日、原告会社の従業員の通勤用自動車等の駐車場である第二車庫付近において、既に原告会社を退職した江頭直とともに、原告会社の許可なく出勤してきた従業員に対し組合情宣紙を手渡して配布し、なお同月一〇日の右配布の際江頭が組合情宣紙を従業員らの自家用自動車数台の前面ウインド・ガラスのワイパーに挾み込んだ。これに対し、従業員からその報告を受けた原告会社は、中村が右両日原告会社の施設である第二車庫内において無断で無許可印刷物を配布し、また、同月一〇日従業員数人の自家用車の前面ウインド・ガラスに無許可印刷物を掲示したとして、同月一三日付の内容証明郵便をもって中村に対し「厳重に警告するとともに処分は後日決定するものとしそれまで留保する。」旨通告した。その後、原告会社は、同月二〇日、従業員である吉郷博司及び小西正春から第二車庫に駐車中の自家用車にそれぞれ参加人組合の情宣紙が貼り付けてあったとの報告を、また、同月二一日には林田政男から、同月二九日には福田武司から、同年七月四日には善博嗣から、参加人組合の情宣紙を勤務時間中に中村と出会った際同人から手渡された旨の報告を受けたため、同月七日付で、中村に対し、同人の前記六月九日及び同月一〇日の行為が原告会社の就業規則四〇条一三号(「従業員は社内で印刷物、またはこれに類似するものを配布し、または掲示しようとするときは、あらかじめその印刷物または類似のものを提示して会社の許可を受けなければならない。」)及び五〇条三号(「許可なく社内で印刷物またはこれに類似するものを配布または掲示したとき。」)に該当するとして、同年七月分の賃金から「労働基準法九一条に基づく減給」を行う旨を内容証明郵便で通告した。

原告は、同年六月一〇日に第二車庫内の従業員の自家用自動車数台に組合情宣紙を掲示したのは江頭でなく中村である旨主張し、(証拠略)中には、右主張に沿う記載ないし供述部分があるが、これらはいずれも推測の域を出ず、(証拠略)に照らし採用することができない。なお、原告は右配布行為は第二車庫内でなされたと主張し、参加人は第二車庫前の公道上でなされたと主張するが、本件全証拠によるもそのいずれであるかを断定することができない。

第四不当労働行為の成否

一1  昭和五三年七月一日及び同月二日の各点呼時における巧常務の訓示中の発言

昭和五三年七月一日及び同月二日の各一斉点呼の席上で巧常務が参加人組合の組合員は挙手するようにと発言したことは前記第三の二1で認定のとおりであるところ、右発言の目的は当時原告会社側で把握することのできなかった参加人組合の組合員がなんびとであるかを知ろうとするところにあったこと、中村が昭和五三年六月二二日付の参加人組合結成通知書で組合員を「中村外五名」と表示し、中村以外の者を当面匿名組合員としておこうとした理由は原告会社による不利益な取扱いなどを避けるためであったこと、右の中村の危惧は、その後の原告会社の参加人組合の組合員に対する態度等に照らし結局杞憂ではなかったこと、更に、右の巧常務の発言は、その内容自体において参加人組合の組合員の心理に制約的効果を及ぼすものであると解されることなどを総合すると、右発言は、参加人組合の運営に介入したものとして労働組合法七条三号に該当するものというべきである。

2  同年八月二〇日の山下専務による亀石に対する組合不加入に関する理由書の提出指示

同年八月二〇日山下専務が亀石に対し組合に加入しないことの理由を自筆で書面に書いて提出するよう指示したことは前記第三の二2で認定のとおりであり、同認定の事実によれば、右組合とは五十川労組を指すものであることが明らかであるところ、原告会社が五十川労組との間でユニオン・ショップ協定を締結したため、五十川労組にも参加人組合にも加入していない者について右協定上問題の生ずる余地があったことは一応認められるが、本件全証拠によっても、右ユニオン・ショップ協定の効力が亀石に対しても及ぶものであったかどうか、右協定の内容が亀石につき原告会社に解雇義務を負わせるようなものであったかどうかは必ずしも明らかでないばかりでなく、原告会社が五十川労組から亀石の解雇を強く要求されこれに対し本人の理由書などを用いてでも弁明しなければならないほどの切迫した状況にあったなどの特段の事情は認められず、他にも右のような理由書を亀石から提出させる合理的な必要性があったと解するに足る事情は何ら認められない。そして、弁論の全趣旨によれば、一般には「理由書」なるものは原告会社においては「始末書」に次ぐ事実上の不利益処分たる性格のものであったことが認められること及び前記第三の一で認定した経緯に照らして同二2掲記の各証拠を総合すると、参加人組合に加入する可能性のあった亀石に対し五十川労組に加入しない理由をことさらに書面に記載して提出するよう指示したことは、暗に五十川労組への加入を慫慂し、参加人組合に加入しないよう示唆する意味をもつものであったと認めるのが相当であるから、右指示は、参加人組合の運営に介入したものとして労働組合法七条三号に該当するものというべきである。

3  同年八月ころの郷原に対する就職妨害

同年八月ころ原告会社を退職した郷原に関し、原告会社が情報を流して同人の就職を妨害したことは前記第三の二3で認定のとおりであり、また、前記第三の三2(二)で認定したように、その後巧常務が他の参加人組合員に対し郷原が当初就職できないような状況に置かれたことを摘示して参加人組合からの脱退を慫慂したことを総合すると、右就職妨害行為は、参加人組合の運営に介入するものであったことが明らかであり、労働組合法七条三号に該当するものというべきである。

二1  同年九月二日の巧常務による湯浅に対する勤務時間厳守指示

当時、原告会社においては出庫時刻、帰庫時刻を厳格に一律的に規制するということはなかったこと、原告会社のタクシー乗務員にとっては、時間外走行をしてもそのことによる特別の手当は支給されないものの、その間の運収が当該乗務日の運収に含まれ、歩合給の額に反映することになっていたので、勤務時間を厳格に守るよう規制され時間外走行を禁止されると、それだけ運収が少なくなる結果歩合給の額も右規制のない場合と比べて低いものとならざるをえなかったこと、同年九月二日ころ巧常務は、それまで午前七時一〇分ころから遅くとも午前七時三〇分ころまでには出庫してそれについて規制を受けたことのなかった湯浅に対して、午前八時出庫翌日午前二時帰庫の勤務時間を厳守するよう指示したこと、これに先立つ同年八月初めころ豊田が参加人組合に加入したこと、同月二八日ころ亀石が山下専務に対し参加人組合に加入したことを表明したことはいずれも前記第三の三2(一)で認定のとおりであり、この事実に前記第三の一で認定した経緯を総合すると、湯浅に対する右指示は、参加人組合の組合員に対して不利益な規制をすることにより参加人組合の運営に介入するものであったことが明らかであり、労働組合法七条三号に該当するものというべきである。

2  同月四日の巧常務の豊田に対する勤務時間厳守その他の指示による脱退慫慂

同月四日巧常務が、豊田に対して、参加人組合の組合員には公休出勤や時間外走行をさせないし、原告会社を辞めても郷原のようにどこの会社にも採用されなくなるなどと述べて参加人組合から脱退するよう同人を説得したことは前記第三の三2(二)で認定のとおりであり、右行為は参加人組合の運営に対する介入として労働組合法七条三号に該当することが明らかである。

3  昭和五四年四月二日の個別点呼における出社時刻の規制

昭和五四年四月二日、巧常務が、実質的に参加人組合の組合員のみを午前七時五五分ころから午前八時ころの間に出社させる目的で、中村、湯浅、柿添及び亀石らに対して午前七時五五分ころ出社するよう指示したことは前記第三の三2(五)で認定のとおりであり、右行為が参加人組合の運営に対する介入として労働組合法七条三号に該当することは明白である。

三  中村に対する懲戒処分

1  昭和五四年五月二三日付出勤停止処分

前記第三の四1(一)で認定の中村の言動については、巧常務による出社時刻の指示が労働組合法七条三号に該当する違法のものであることは右のとおりであるから、これを「業務命令」としその違反を懲戒の理由とすることは許されない。そして、中村の右言動の中には「苦情を言いよる者の家を教えろ。俺が行って話をつける。」という穏当を欠く発言もあるが、前記認定のような事態の成り行きからみて、これを懲戒の理由とすることはゆきすぎというほかなく、(証拠略)によって逐一検討しても中村の右言動をもって懲戒事由とする就業規則上の根拠は、これを見出すことができない。同四1(二)で認定の中村の行為については、原告会社の就業規則四九条四号に該当するとされたものであるところ、同号は譴責事由にとどまり同号証によればこれに相当するような出勤停止事由は就業規則上定められていないことが明らかである。以上のほか、前記認定、判断した諸事情に照らせば、昭和五四年五月二三日付の出勤停止処分は、中村が参加人組合の主要な構成員であることのゆえになされた不利益な取扱いであるというべく、労働組合法七条一号に該当することが明らかである。

2  同年七月七日付減給処分

中村が同年六月九日及び同月一〇日の両日、原告会社第二車庫付近で従業員に対して組合情宣紙を配布したことは前記第三の四2で認定のとおりであるが、同認定のとおり右配布の態様は単に情宣紙を手渡しするものであって、受領の意思のない者に対して執拗に受け取らせようとしたなどの特段の事情は本件全証拠によっても認められないうえ、右配布行為が通常の参加人組合の組合活動とは異なった意味をもつものであることを窺せる証拠はなく、更に、右配布行為の行われた場所が原告会社就業規則五〇条三号所定の「社内」であったかどうか明らかでないこと、右行為は勤務時間外に行われたものであること及び前記認定のような当時における参加人組合に対する原告会社の態度を総合すると、同年七月七日付の減給処分は、中村が参加人組合の主要な構成員であることのゆえになされた不利益な取扱いであるといわざるをえず、労働組合法七条一号に該当するものと解される。

第五本件救済命令の適法性

労働組合法二七条に定める労働委員会の救済命令制度は、労働者の団結権及び団体行動権の保護を目的とし、これらの権利を侵害する使用者の一定の行為を不当労働行為として禁止した同法七条の規定の実効性を担保するために設けられたものであるところ、法が、右禁止規定の実効性を担保するために、使用者の右規定違反行為に対して労働委員会という行政機関による救済命令の方法を採用したのは、使用者による組合活動侵害行為によって生じた状態を右命令によって直接是正することにより、正常な集団的労使関係秩序の迅速な回復、確保を図るとともに、使用者の多様な不当労働行為に対してあらかじめその是正措置の内容を具体的に特定しておくことが困難かつ不適当であるため、労使関係について専門的知識経験を有する労働委員会に対し、その裁量により、個々の事案に応じた適切な是正措置を決定し、これを命ずる権限をゆだねる趣旨に出たものと解される。したがって、裁判所は、労働委員会の裁量権の行使が右の趣旨、目的に照らして是認される範囲を超え、又は著しく不合理であって濫用にわたると認められるものでない限り、当該命令を違法とすべきではない(最高裁判所昭和五二年二月二三日大法廷判決・民集三一巻一号九三頁参照)。

ところで、本件各不当労働行為は、これを要約すると、原告が参加人組合の組合員に対し、一斉点呼の席上で同組合員に挙手させ、また、参加人組合にもいわゆる第二組合である五十川労組にも加入していなかった者に対して第二組合に加入しないことの理由書を提出するよう指示して暗に同労組への加入を慫慂しかつ参加人組合に加入しないよう示唆し、更に、参加人組合の組合員であった者の別のタクシー会社への就職を妨害しようとし、その他、タクシー乗務員の出庫、帰庫時刻及び原告会社への出社時刻について参加人組合の組合員とその他の者とで差別するなどして参加人組合の運営に介入したこと及び参加人組合執行委員長中村に対し、同人が同組合の主要な構成員であることのゆえに出勤停止処分などの懲戒処分に付したことであるが、原告による参加人組合の運営に対する介入行為は、前記認定の諸事実に照らせば単なる一回的なものではなく、相当程度恒常的な面がみられ、また、将来再び繰り返されるおそれが多分にあるといわざるをえず、単に、これらの不当労働行為の団結権及び団体行動権侵害の程度に照らすと、本件救済命令の主文1ないし3項は被告に与えられた裁量権の範囲を逸脱し若しくはこれを濫用してなしたものとは認められない。

原告は、本件救済命令主文3項が違憲、違法であると主張するが、同項は「会社の下記の行為については、福岡地方労働委員会の命令により労働組合法第七条第三号の不当労働行為と認定されましたので、今後このような行為は致しません。」と題する一定の書面を掲示せよと命ずるものであって、謝罪文の交付又は掲示を命ずるものとは解されないから、謝罪文の交付又は掲示を命ずるものであることを前提とする主張については判断の限りでない。本件救済命令主文3項は、いわゆるポスト・ノーティスの類型としては誓約文の掲示に属するものと解されるところ、これが許されないものであるとする原告の主張は、その論理展開自体飛躍が多く主張の根拠が明瞭でないきらいがあるが、なおこれを善解してみても結局被告の裁量を争うことに帰着するものと解され、採用することができない。すなわち、原告は、誓約文の掲示が意思表示にあたり、これが単独で、又はこれを要素とする合意の成立により、使用者に債務を負担させることになるから、私法上の法律関係を創設することになるとの前提にたつが、仮にそのような法律関係が形成される可能性が全くないわけではないとしても、その言うところの「債務」の内容は要するに不当労働行為という違法行為をしないというものであって、仮にこれに使用者が拘束されるとしても、そのことの当否は当該地方労働委員会が認定した不当労働行為の事実等に照らし、当該主文の命ずる誓約文掲示が使用者に過重な不利益を及ぼすものであるかどうか、それが当該労働委員会の裁量権の範囲を逸脱し若しくはこれを濫用するものであるかどうかの問題に帰着するのであって、誓約文掲示の命令自体が一般に使用者に対し不当な不利益を課するものであるとはいえないことは明らかである。そして、被告の裁量に違法のないことは前示のとおりであるから、原告の主張は理由がない。

第六結論

以上のとおりであるから、被告の発した本件救済命令は適法というべきであり、これを取り消すべき事由は存しない。よって、本件救済命令の取消しを求める原告の本訴請求は理由がないからこれを棄却することとし、訴訟費用の負担につき行政事件訴訟法七条、民訴法八九条、九四条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 辻忠雄 裁判官 草野芳郎 裁判官 松本光一郎)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!